日々、お庭を介して人と会い、庭と向き合う。
時には造り、
時にはさら地に還すこともある。
植えることもあれば、
抜くこともある。
時には鋏を入れながら、
その一枝、一葉から植物の声も聞く。

庭の成長はいつも思った通りばかりではないけれど、
植物たちはいつも
花を咲かせ、実り、芽生え、
根を張るその土地をありのままに受け入れる。
心のままに枝葉を伸ばし、
時が来れば躊躇なく朽ちるその繰り返しは
決していつも慣れることのない驚きに満ちていて
心が揺れる。

自分よりもずっと長い年月生きてきたお庭にも入れば、
まだ生まれたばかりの静かな庭にも入る。
その折々にふと立ち止まり
「庭のちから」を考える。

庭は命の集まりだと思う。
たとえどんなにささやかでも、
そこにひとにぎりの土さえあれば
風に、雨に、陽に育まれて
命が集まる。
庭のちからとは、命のちからそのもの。

子どもが育つとき、
その傍らに庭があるならば
庭は子どもを他の命と等しく包み込み、
その子の命をたくましく輝かせる。

人が老いるとき、
もしも体の自由がなくなったとしても
その傍らに庭があるならば
人はどこまでも自由に、豊かに、
心を動かすことができる。

土に触れた指先から
自分の中の嫌なものが出ていく時。
背中に感じる陽の温もりに
訳もなく胸がいっぱいになる時。

土とともに生きることで人が優しくなる意味を知る。

そんな風に
庭を通して命の理を学ぶことは
小さな子どもにも、
大きな大人にも、
幸せの理を知るヒントとなるだろう。

だからこそ思う。
「しあわせはお庭のほうからやってくる。」

今日も頭を下げて
庭に入る。

心からの

心からの敬意を込めて。